「何」を持つ、持たない、というのでしょうか?
有り無しで、人生が変わる物、それは「資本」でした。
近代社会において、「持てる者と持たざる者」の意味は次のように、理解されていました。
「資本」を持てる者は富を得て、「資本」を持たざる者は労働力を売るしかないので貧しい。
このように「資本家」と「労働者」の格差を表し、資本家は労働者を働かせて利潤を生み出し、互いに入れ替わることはないことも表します。
「資本」とは、財産ですが、土地などの不動産が一般的です。
現代においてはどうでしょうか?
フジイは、現代は、「情報」だと思います。
資産を持っていても、正しい情報がないために、見通しを誤ったり騙されたりして「富める者」から「貧しい者」になった人を多く見てきました。
「情報」それも「正しい情報」を持てるか、否か。
現代では、その所有こそが、重要だと思います。
かつては、「資産」を持つ者と、持たざる者とは、容易に入れ替わることはできませんでした。
「資本」力をもとに、多くの「物」を持つ者が、金持ちの上級者で憧れの存在のように言われていました。
現代は、むしろ、不要な物、必要を超えた「所有」をしない生活が求められています。
この点は、「モノを所有しない生活=リユース ー 所有とレンタルの間」をぜひ、ご一読ください。
ところが、「情報」なら、どうでしょうか?
持つ者と持たざる者は、簡単に入れ替わり可能です。
場所も、維持の費用も、手間もさほどかかりません。
ただし、その「情報」は、鮮度と正確性を要します。
簡単に「持てる」「情報」
情報が大事で役立つものであることは、以前から分かっていました。
しかし、役立つ情報は、入手が困難でした。
例えば、「秘伝のタレ」、「奥義」、「一子相伝」など限られた人においてのみ伝えられるものでした。
うあるいは、会社などでも、「会議の前に会議あり、会議の後に会議あり」と揶揄(やゆ)されたりします。公の会議では本音で語られることはなく、会議の前にすでに根回しがされていたり、会議の後に一部の者たちで詳細が決せられたり、しています。
情報を得るために、懇親会に出たり、上司に付き合ったり、してきた歴史があります。
本当に有益な情報は、人間関係を築き、信頼をえて、ヒントをもらって推測していく、そういうものでした。
ところがです。世の中には親切な人が、いっぱいあふれるようになりました。SNSで情報を発信する人が増えたのです。
ネット情報は、取捨選択を誤らなければ、有益な情報で満ちあふれている。
もう、パワハラ、セクハラ受けながら、酒席に侍らなくても、新しくて有益な情報がすぐ手に入るのです。嫌々会社行事に付き合わなくなるはずです。
それでも、現実社会に交流は、役に立ちます。
それは、あふれる情報の真偽を見極める力を養えるからだと思います。
積極的に、新しい情報を手に入れ、その正誤を誤らないために実践での検討ももつようにしたいものです。
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