「コロナ」と「ロミオとジュリエット」との意外な共通点

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分かりますか?「コロナ」と「ロミオとジュリエット」との意外な共通点

「ロミオとジュリエット」の悲劇とは?

「ロミオとジュリエット」は、よく知られた、シェイクスピアの恋愛悲劇です。

対立する一族の女性ジュリエットと男性ロミオが恋に落ち、両家の障害を乗り越えて結ばれようとします。

その計略は次のようなものでした。

ジュリエットが自殺したと思わせるために、仮死状態になる毒薬を飲み、息を吹き返したところでロメオと駆け落ちするというものでした。

もちろん、ロミオには、ジュリエットは死んだのではなく、生き返るとことを伝えておくはずでした。

ところが、それを知らされなかったロミオは、ジュリエットが本当に自殺したものと思い込んで、自分も毒薬を飲んで、死んでしまうのです。

後で、仮死状態から目覚めたジュリエットが、ロミオの死を知って、短剣で胸を刺して後を追うのです。

これによって、長年続いた両家は和解するのですが、若い2人の命は戻りません。

悲劇はなぜ起きたのでしょうか?

両家の対立が、2人の死という悲劇を生んだと理解されてきました。

本当にそうでしょうか?

何か釈然(しゃくぜん)としませんよね。

大切なことが、あらすじから抜けているからです。

よく練られた計画なのに、一番肝心のロメオには、なぜ「ジュリエットは死んでいない、仮死状態になるだけだから」という情報が伝わっていなかったのでしょうか?

昔のことだから、情報手段もなく(もちろん携帯電話もなく)、手違いがあったのだろう、くらいに考えていますよね。

これでは、「考えの足りない若者の失敗」であって、「悲劇」とは思えませんよね。

そんないい加減な話でしょうか?

計略が、なぜ伝わらなかったのでしょうか?

計略の手紙をロミオに届けに行った使者が、途中、ペストの疑いで足止めとなり、遅れてしまったからなのです。

伝わらなかった理由は諸説あるようですが、シェークスピアが「ロミオとジュリエット」を書いた1590年頃は、ペストが流行っていたのです。

それで、ロミオに計略が届かない理由として、ペストによる混乱を使ったのです。

これならば、納得ですね。使者が立ち寄った家の人がペストにかかっていたので、今で言う「濃厚接触」として陰性がはっきりするまで閉じ込められて、手紙をロミオに渡せなかったのです。

時代と疫病によって、阻まれた悲劇、やっと、納得できますよね。

共通点は?

疫病の流行の恐ろしさ、不可抗力、人生の変容が、背後にあったのです。

両家の対立は人的な問題、ペストがは疫病という当時としては自然災害の問題、それらが絡み合って悲劇が起きたのです。

両家は、長年の対立を2人の死から反省し、和解します。

しかし、猛威を振るったペストについては、なすすべがなかったのです。

今の新型コロナとの共通点は、疫病が人類をおそうことの影響です。

シェークスピアの時代は、ただ、終焉(しゅうえん)を待つしかなかったけれど、今のコロナには叡智(えいち)と冷静さを持って対処できる、それは違いとなることでしょう。

人類と疫病との戦い

乗り越えてきた疫病と文学作品

人類は、幾多の疫病と戦い、生き残ってきました。

映画や小説には、広範に流行していく疫病を描いた作品がいろいろあります。

有名なカミュの小説「ペスト」は、迫り来るペストの恐怖と人々の反応が描かれ秀逸です。

ただ、今の時期に読むのは、暗い気持ちになるかもしれませんが、あるべき姿勢を見いだすことができるかもしれません。

また、小説も有名ですが、なんと言っても映像美が完璧な映画「ベニスに死す」をあげることができます。

マーラーの重厚な音楽と、壊れそうな美をたたえたビョルン・アンドレセンは、類をみず、ぜひ見られることをお勧めします。

背後に、ペストの恐怖が迫り、死と生を美しく描いています。

感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律

疫病、いわゆる感染症については、特別法が制定されることも多いですが、基本となるのは、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(以下「感染予防等法」という。)です。

この法律には、前文があります。

通常の法律には、条文がいきなり第1条から始まり、前文はありません。

前文で有名なのは、もちろん憲法です。「崇高(すうこう)な理想」を掲げています。

前文には、その法律を作った熱い思いが込められているのです。

だから、いかに感染予防等法が、悲願を掲げているかが、前文を読めばよく分かります。

人類の悲願と反省

前文

少し長くなりますが、前文を引用します。

「人類は、これまで、疾病、とりわけ感染症により、多大の苦難を経験してきた。ペスト、痘そう、コレラ等の感染症の流行は、時には文明を存亡の危機に追いやり、感染症を根絶することは、正に人類の悲願と言えるものである。医学医療の進歩や衛生水準の著しい向上により、多くの感染症が克服されてきたが、新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により、また、国際交流の進展等に伴い、感染症は、新たな形で、今なお人類に脅威を与えている。一方、我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。ここに、このような視点に立って、これまでの感染症の予防に関する施策を抜本的に見直し、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する総合的な施策の推進を図るため、この法律を制定する。」

悲願と反省とは?

人類を存亡の危機に陥らせた幾多の感染症、これを根絶することは、正に人類の悲願なのです。

多くの感染症が克服されてきたが、新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により、また、国際交流の進展等に伴い、感染症は、新たな形で、今なお人類に脅威を与えていることを、改めて自覚する必要があります。

一方、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を反省しなければなりません。

患者さんは、どのような病気であっても、その病気に罹患(りかん)した苦しみの他に、いわれなき差別や偏見による苦しみを負うことがあってはならないはずです(自分勝手な振る舞いの人を許容することではありません)。

新型コロナ禍に直面して、改めて、感染予防等法の前文に込められた意味をかみしめてみたいと思います。

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